地域に開かれたお寺 御縁ある皆様とともに ―御供養・禅体験・学び・出会い―
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正受寺沿革・歴史
正受寺 境内の様子
竹林を背に、田園風景の広がる小高い丘の上に建つ 正受寺 境内の様子です。
正受寺外観 左:庫裡 右:本堂
門柱(右:萬歳名山 左:正受禅寺)と参道
通りから正受寺への入口の風景です。
寄贈いただいた「正受寺」寺号扁額を目印に右へ上がってください!
お寺の入り口に当たる門柱を通り、つつじの参道を登ると本堂へ。
正受寺 本堂 (1970年建立)
1970年(昭和45年)、先代住職 顕教禅師時代に建立された現在の本堂です。
行橋市立 延永小学校の前身となった致道校はこの本堂前(現在は畑)にあったそうです。
建替え前の本堂 (1960年頃撮影)
現在の本堂の北隣にあったかつての本堂です。
おそらく1910年くらいに建てられたものが基礎となっていると思います。
昔の正受寺の全景が分かる写真はおそらくこの一枚だけではないでしょうか。
「正受寺」寺号額 広寿山 福聚寺 初代住職 即非禅師書
「享保院霊塔」
本堂脇にある享保飢饉(きょうほうききん)の餓死者慰霊碑です。
江戸時代中期 享保17・18年(1732・33年)に起きた飢饉での餓死者供養を続けています。
毎年、春:享保供養と夏:施餓鬼会で供養法要が行われ、檀信徒・地元の皆さんが御参詣くださいます。
歴代住職墓碑
本堂の裏で、一段高くなった丘の上にある歴代住職のお墓。
2代:辨宗禅師 20代:梅山禅師 21代:定野聳山禅師 22代:髙渕顕教禅師
広がる田園風景
歴代住職墓碑のある丘の上からの眺めです。
この画像は田植えのすぐ後ですが、季節によって変わる田園風景は美しいです。
昭和3年春 梵鐘 山門 建立記念碑
昭和3年(1928)春 21代定野聳山禅師時代に梵鐘と山門が建立された記念碑です。
地元 二塚の有志の皆さんのおかげで建立できましたが、梵鐘は第二次世界大戦時に供出に遭い、現在はございません・・・
このような境内の様子になっていますので、お気軽にお越しいただけると幸いです。
四季折々の花が咲き、人が集い、御供養・禅体験ができ、様々な行事で新たな御縁が繋がっていく、そんなお寺になればと願っています!!
年明けから構想を練り、2016年2月にゆっくりと取り組む時間ができたため取り掛かったパンフレット作製!
他宗派のお寺さんが作られていたものを大いに参考にさせていただき、プロジェクトスタート。
時間があるときにこれまで撮り貯めてきた法要や行事の写真を選び、文章を考えました。
ただ、私にできることはここまでで、ここからは心強い仲間にお願いしました!
いつも坐禅会に参加してくれたり、行事のサポートをしてくれる延命寺の北橋徹也さんが編集をしてくれました。
正受寺パンフレット表面
正受寺パンフレット内面
A4サイズの3折で、厚手の用紙を購入しインクジェットプリンターでカラー仕上げ。
写真も入り、お寺や法要の様子、イスがあることも伝わりやすくなったのでは!
パンフレットは法要の案内で区長様、法要参詣者、さくら祭り、坐禅会で配布させていただきました。
好評で「分かりやすくて、立派やね~」、「色んなところに置かせてもらえば?」というお声も!
お寺にも置いてますので、ご覧になって新たなご縁ができることを期待しています!!
ぜひ、法要や坐禅会の御参加、研修の御依頼をお待ちしております。
四季折々の花が咲き、人が集い、御供養・禅体験ができ、様々な行事で新たな御縁が繋がっていく、そんなお寺になればと願っています!!
2010年6月17日、母校の行橋市立 延永(のぶなが)小学校 3年生が正受寺にやってきました。
昨年に続いてですが、今年で12年目くらいになると思います。
延永小学校の始まりが正受寺の地であったことで、今年は22名の生徒がやってきました。
住職は他用で忙しかったために、替わりに私が説明し坊守・若坊守が接待をしました。
ちなみに引率の先生は私が小学校2年生時の恩師だったため、緊張しながらでしたが・・・
まずは学校の歴史を振り返りました。
明治6年(1873年)、前身となる致道校が創立された。 (教員2名:生徒62名)
明治20年(1887年)、教則の改正により校名が二塚尋常小学校と改称された。
明治27年に校舎を現在の行橋市上津熊に新築し、校名が延永尋常小学校と改称なった。
この地に小学校があったのは21年間という短い期間でした。
しかし、正受寺の第21代住職で、私の曽祖父である定野 聳山(俗名:安太郎)も通ってたようです。
今回の準備のため資料整理をすると、当時使用した名前入りの教科書が見つかりました。
昨年はこのような資料が見付かってなかったので、今年はより身近に感じてもらえたのでは。
また、昨年は当時の学校の様子や行事、遊びといった質問になかなか答えられずにいました。
そのため少しでも感じてもらおうと、今年は昭和初めに生まれた地元の方に応援依頼していました。
私たちが分からない点は、御自身の経験から色々とお話をしてくださったので子どもたちも喜んでいました。
子どもたちも地元のことを調べ、色々な方とお話しする貴重な機会になったのでは。
また、当時の就学率が50%くらいだったことを知り、学校に行けるありがたさも感じたはずです。
今度行われる学習発表会と今後の交流を楽しみにしています!
2009年6月29日、母校である行橋市立 延永(のぶなが)小学校 3年生が正受寺にやってきました。
延永小の始まりはこの正受寺の寺子屋からなんです。
明治6年(1873年)、前身となる致道校が創立されました。 (教員2名:生徒62名)
明治20年(1887年)、教則の改正により校名が二塚尋常小学校と改称されました。
その後、明治27年に校舎を現在の行橋市上津熊に新築し、校名が延永尋常小学校と改称なった。
この経緯により毎年総合学習の一環で学生さんたちが訪ねてきてます。
住職は他用で忙しかったために、替わりに私と坊守が説明・接待を。
歴史や当時の学校の様子などの説明をし、校舎があったところ(現在は畑)を案内しました。
子どもたちは難しい歴史よりも、当時の学校の様子や教科・遊びなんかに興味がありました。
建替え前の本堂 (1960年頃撮影)
一番驚いていたのは、この建替え前の本堂の写真。
延永小であったころの本堂ではありませんが、茅葺き屋根が珍しいようです。
このように地域の歴史探索で子どもたちと触れ合い、思い出に残れば幸いです。
今後の交流に繋がっていくことを願っています!